長期間一人で旅して気づいた5つのこと
2018年4月末に日本を出て、あっという間に2019年2月。一時帰国はしたものの、海外での生活も10か月を超えたのだ。以前とは世界の見え方が違っていることに気づく。
長期間を海外で過ごしたとは言えど、訪れた国のことについて知り尽くしたわけでもなければ、1年前より優れた人間になったわけでもない。
ただ、今までは意識してすらいなかったことに気づいたという事実には、確実に価値がある。
今回は10か月間かけて北半球をぐるっとした結果気づいたことを5つ紹介する。
英語の重要性
最初からこれかい!と落胆せずに読んでほしい。(笑)
私は実際に英語を習得して初めて、英語を話せることは大きな財産であると確信した。
ご存知の通り、英語は世界で最も話されている言語である。国によって話せる人が多かったり少なかったりはあれども、だいたいどの国に行っても英語話せる人を見つけるまでにそんなに時間はかからない。これは欧米に限った話ではなく、アジア地域にも同じことが言える。何かしらの共通言語があると、一期一会の関係ではなく、ちゃんと心のつながりを感じられる関係になれる。世界中に友達を作れるという、おそらくドラえもんもびっくりの最強のツールだ!!ほんやくコンニャクなんていらないぞ!
日本を出国して間もないころの英語力は思い出すのも怖いほど酷かった。語彙の引き出しは「センキュー」「ソーリー」「イエス・ノー」の3つのみ。センター試験で満点を取ったからと自信満々だったリスニング力も、実際に話をしている人を目の前にするとまったく聞き取れなかった。びっくりするほど聞き取れなかった。まじかって感じ。
出国前、去年の4月には、こんな風に思っていた。
ま、言葉がなくても笑顔と気合で何とかなるでしょ('ω')
地獄を知る前は謎の自信があった
その甘すぎる妄想は、海外へ飛んだ初日に夢のまた夢の中であると理解した。
店員さんが問いかけてくることも、語学学校の講師がしてくれる世間話も、意味わかんないのだ、なにもかも。早口で「lkjhgfdszxcvbんm」ってまっすぐ目を見て話しかけられるのが恐怖だった。なんていうか、コミュニケーションの一歩通行に申し訳なさでいっぱいになって、笑顔と気合はいとも簡単に消滅した。ソーリー(´・ω・`)と小声でいうだけで精一杯。泣けるでしょ。
で、申し訳なさから頑張って勉強した。
モチベーションは申し訳なさ。情けないね。とにかく、聞き取れない罪悪感を少しでも減らしたくて、勉強をつづけた。
語学学校の自分の机
勉強の成果が表れるまでにそこそこの時間はかかったものの、3か月目くらいからだんだん簡単な英会話ができるようになって、申し訳なさは少なくなり、会話を楽しめるように。
【英語学習に役立てたサイト(無料のもののみ厳選)】
英語のリスニング力を試せるTED。綺麗な英語を話す人が多いので、聞き取りやすくて良い。プレゼンの仕方も参考になるしおすすめ!
learnenglish.britishcouncil.org
グラマーやボキャブラリーの強化に。長文問題もたくさんこなせる!集中して勉強したいときに一気にやってた。難易度の低い問題もあり。
空き時間はBBCを聞くのが楽しみ。コンテンツが面白くて、楽しく英語に触れられる。
英会話ができるようになったおかげで、世界中に友達を作ることができた。くだらない話から深い話までして笑いも涙も共有して、表面的な関係だけではない、一生大事にしたい友人と思い出ができた。同様に英語の勉強を頑張っている最中の人もたくさんいて(同レベル~ちょい上が一番話しやすかったりする)、彼らの大半は自国から出てお仕事をしたいという意思を持っていた。完璧ではなくとも、ある程度の能力を持っているだけで世界は広がるなあと実感している。
英語を習得したと書いてしまったが、ネイティブからしたらまだまだ違和感のある英語を話していると思う。語彙も日常会話レベルなので、納得できるレベルになるまでは学習を続けていくつもりだ。
異文化理解は難しい
出国前、異文化を受け入れることは難しくないと信じていたが、それは間違いだった。
異文化を傍観することは簡単でも、受け入れることは結構難しい。
知らない地に行って感じる、独特の空気感。景色も違えば、言語も気温も、人々の生活や性格も違ったりする。そのすべてが文化といえるのだろう。海外にいると、日本では考えられないような光景にカルチャーショックを受ける場面が多々ある。
未知でキラキラしたものに出会う瞬間は、高揚して思わず写真を撮ったり、メモにその時の気持ちを書き記したりする。(のちにインスタに投稿される。笑)
このようにすんなり受け入れられたケースも多くある。
アジアの人セルフィー撮りすぎな件について!!!!(受け入れ可能)
多国籍が集まると、日本人としての意見をはっきり言わないといけない空気になる。(最初は難しかったけど受け入れ可能)
ただ、どうしても受け入れることができない文化の違いもある。
日本の文化が受け入れられずに悲しい思いをしたことがある。それは「いただきます」について。
ヨーロッパでのボランティア期間中、同じボランティアのメンバーに和食をふるまった際に、「いたただきます」と「ごちそうさま」の意味を説明して、実際に言ってもらおうとした。すると「なぜ感情のない食べ物に感謝しなければいけないのか。食事を用意した人に感謝するのもよくわからない、何故なら彼らは好きで用意したわけであり、別に感謝されたくてしたわけではない。」とコメントしてきた人がいた。「ええええ本当に言ってる?!」と思ってしまったが、彼は割と素直にそのようなことを口にしているようだった。彼の国では、「ありがとう」「ごめんなさい」を口にする場面は限られているらしい。ショックを受けたと同時に、素直に全部口に出すことにも驚いてしまった。この時、異文化理解の難しさを痛感した。
こちらとしては、「いただきます」は間違いなく素晴らしい文化だし、簡単に受け入れてもらえるものだ、むしろ感動してくれるだろうと自惚れに近いような感覚でいたのだが、彼からしたら「Too plite(丁寧すぎる)」だったらしい。ひえぇ
3ヶ月ほど前のことだが、いまだに、「いただきます」を理解してくれない人がいるなんて悲しいな、、、なんて思っている自分がいる。彼の意見を受け入れる必要があるかは知らないが、そういう考え方もあるんだ、と器広めに構えることは、きっと世界中の人と仲良くやっていくうえではかなり重要なのだろう。
友達や家族のかけがえのなさ
身の回りにいる人がどれだけ自分に影響を与えてくれているか、支えてくれているか。
改めて、友達や家族への感謝の気持ちがあふれてきた。
いつもそばに頼れる人がいると、頼ることが当たり前になってしまい、感謝の気持ちが薄れがちである。一人で海外にいた間はすぐに頼れる人は誰もいなかったから、何があっても自力で何とかするしかなかった。これが思っていたより大変。そして、
「...ってことは、気づかないうちに、たくさんの人がフォローしてくれてたんだな」ってふと気づく。風邪をひいたらコンビニで買ったゼリーを差し入れてくれたり、元気がない時には話を聞いてくれたりした人たちのことを思い出した。身近な人がしている行動をもっと注意深く見て、どんな小さなことにも感謝の気持ちを忘れないようにしたいなと思えた。
○○してくれてたんだ、ってことに気づいただけじゃなくて、「え、私、こんなに周りの人のこと大切に思ってるのか」ってことにも割と衝撃を受けた。
自分ではドライな方だと自称していたし、そこまで人に干渉する方ではない。なんなら一人でも生きていけるかもと思ってたところもある。けど、今は「一人で生きていくのは無理!」と断言できる。
実は旅先で考えていることの大半が、家族や友人のことだったりする。いろんな人の顔を思い浮かべながらお土産屋さんをうろついたり、SNSでの近況報告が楽しみだったり。新しく出会った人に、友達の話をしてみたり。彼と電話するときは必ず「元気ですか?」と確認してしまうし、寝る前には必ずと言っていいほど愛犬🐶のことを考える。美容室の前を通れば弟の髪色は大丈夫かなと心配になり、母親とのLINEでは、早く実家に帰りたいことを全力でアピールしている(笑)
君には全力で会いたいよ。
こうやって愛情をもって接することがなかったら、感覚的に人生90パーセントくらい損しそうだ。当たり前の人間関係が、特別でかけがえのないものだってことに気づいた。
地球って思っていたより小さいかも
ちっさいな、ってがっかりしたわけじゃない。ただ、想像ができなかった地球の規模が、なんとなくつかめた気がするのだ。今まで歩いてきたところは全部地球上。当たり前だけど、訪れた全ての場所が故郷の日本と同じ星にあるってなんだか感動なのだ。
このちっちゃな地球に存在する人、動物、自然、全部友達でいいじゃん!という超無邪気にも思える考え方を習得した。(笑)
地球そのものに対する考え方も変わった。変わったというか、初めて地球のことを本気で考えた。素晴らしい自然がまだまだたくさんあって、私たち人類はそれに触れて幸せを感じられる。それも、最高潮の幸せ。それこそが一番の富であって、地球に住むもののとしての本来の在り方なんじゃないかなあって思った。
だから、環境破壊をしながら富を生んで、幸せをお金で買おうとばっかりする経済社会が、少し嫌いになった。そんなことしなくても幸せになれるのにーって。政治等の話と絡めると複雑になっていくんだろうけど、まだそこまで深い思慮はしてない。(´・ω・`)
とりあえず経済中心で回る世の中、私にはどうしようもないので、なるべく地球にやさしい生き方を心がけるようになった。思ったよりも小さかった地球、自分から行動して守っていかなきゃなって強く感じた。
お金が有り余っていたとして、何よりも先に買うであろうものは池。笑
なんだかんだ日本が大好き
日本をずうっと離れていると、和食も温泉も浴衣もお祭りも、恋しくなるもの。たぶんそれは、日本文化に魅力があるからってわけではなくて(もちろんそれも大いにある)、日本こそが私の故郷で、大事な人がいっぱいだから!!...だと思う。
和食も温泉も大好きな仲間と楽しみたいし、日本に帰りたいなあって思う時はだいたいさみしい時。日本語の通じる人に話を聞いてほしかったり、無性に会いたくなったりする。そしていざ会う時は、日本の文化にまみれて癒されつつ、ホッ。としたい。
抹茶と和菓子のあるこたつで、おばあちゃんに「行ってきます」の挨拶をしたのが懐かしい。
日本のことを思い出すと、「あったかいもの」が多く頭に浮かぶ。
こたつ、お茶、お味噌汁。和風建築も伝統的な弦楽器にも温かみがあるし、とにかく落ち着くものが多い。大事な人たちとそのあったかいものを囲む時間が、今一番求めているものだ。
まとめ
長期間一人旅して気づいたことは、とてもシンプルなことだった。日本にいても気づけそうだけど、思わず忘れてしまうことってある。そしてそれは、忘れるべきではないことだったりする。
「自分探しの旅」がテーマだったわけではなかったけど、結局自分の軸が明確になって、これからの進路を決めやすくなった。
自分が何をしたいのかわからないって人は、勇気を出して一人旅をしてみるといいかも。きっと大事なことに気づけるし、本当の自分に出会えるはず!