2018.4〜 英語留学、世界中でボランティアする1年間!

一記憶の保管者として

親友とのホイアン旅行、アンコール遺跡群一人旅を終え、

長距離バスに乗ってプノンペンまで!

 

 

友達と合流し向かったのは、トゥールスレン虐殺博物館。

 

別名S21、もともとはごく普通の高校だったというこの場所。

 

 

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なぜ高校だったはずのこの場所にお墓があるのか。

 

 

 

 

実はここで行われていたのは教育ではなく、酷く残酷な‘‘拷問’'である。

 

 

 

 

 

 

カンボジアは、1975年から79年までの4年間、クメールルージュの支配下にあった。

クメールルージュとは、ポル・ポトの率いた共産主義政権のこと。

 

当時の総人口は約800万人。

そのうち200~300万の命はポルポト政権によって奪われた。

 

これがたったの40年前の出来事であるなんて...。

 

 

 

 

ポルポトが目指したのは、完っ全に原始的な社会。

経済があるから争いが起こるのだと考え、国民からすべてを奪い、農業への従事を強制。彼らは四六時中監視されており、朝から晩まで働くしかなかった。

 

知識人は革命を起こす可能性があるとされ、ある場所に召集された。

『みんな賢いから国のために協力してくれ』みたいなことを言って集めたらしい。

その場所が、S21(トゥールスレン)である。

 

もちろん招集された後に待っているのは、国への協力ではない。

待っているのは、彼らを消す作業。

 

 

最終的な処刑が行われるのは、同じプノンペンにあるキリングフィールド。

ここS21では、キリングフィールドで正式に処刑されるために必要な調書が作られる。

『私はこんな悪いことをしました、なので処刑されます』

っていう嘘の調書を書かされる。

 

調書を書くためには自白が必要なので、

尋問係は知識人たちを痛めつけ、自白させようと試みる。

その拷問は信じがたいほどひどいものだった。

 

 

 

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まず前提として、逃げ出すことは不可能である。

校舎や柵には有刺鉄線が張り巡らされているし、見張り係ももちろんいた。

 

 

 

何とも重い空気にカメラを取り出すことが阻まれ、写真はほぼ撮れなかったが。。

 

拷問が行われていた鉄のベッド、遊具(拷問用の鉄棒、花瓶等)、血痕がそのまま残った部屋、閉じ込められていた独房が当時の姿のまま残っており、生々しくその残酷さが伝わってきた。

 

この場所が発見された時には拷問中に亡くなってしまった人の遺体がそのままになっていたらしく、その写真も。

 

留置されキリングフィールドに送られた、多くの人の顔写真も。みんなおびえた表情をしていた。

 

結局本当の知識人以外も、

読み書きができたり

眼鏡をかけていたり

容姿が優れていたり(もはや理解不能)

それだけの理由で殺されていった。

結果、200-300万人が犠牲になった。

 

ここに遺族が訪れ家族の写真を探すこともあるらしい。

どんな気持ちで、と考えると、心がつぶれそうになる。

 

 

最後には山のように積まれた頭蓋骨の展示がある。骨にはひびが入っていたりして、拷問を受けている様子を想像してしまった。

 

 

 

 

 

とにかく残酷な歴史を肌で感じた。

 

正直、こういった場所へは足を運びたくないっていう人も多いと思う。

私も、血とか本当に無理だし怖かった。

心が痛む体験であったことに間違いはない。

 

 

 

しかし、来てよかったと心の底から感じている。

 

 

 

絶対に繰り返してはいけない歴史を直に知った。

 

こんなことが今後起きるわけない、と思い込んでいたがそれは間違い。

 

社会の動きを予想することなんて私には無理。

でも、同じ地球のどこでだってこんなこと起きてはならない。

そして、手遅れになってからでは遅い。

 

二度と悲劇を起こさないために実際に何か行動すべきなのだと強く実感した。

それが私たちにできる唯一の被害者への追悼だと思う。

 

 

 

この悲しすぎる歴史の記憶の保管者になった今、周りの人にも政治の重要性を伝えていきたい。

 

 

無知な学生なりに、得た情報を友達と共有することくらいはしていこう。